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ラブコメの主人公みたいな

くまもなき月ばかりをや眺めまし
散りくる花の影なかりせば
(大納言經信集/33)

 明るい月夜と落花を歌った春の歌で、今日は年内最後の満月ということもあってか気になってしまった。訳すなら「くまもなき月ばかりをや眺めまし」曇りのない月だけを眺めていただろう「散りくる花の影なかりせば」もし(こちらへ)散ってくる花の姿がなかったならば*1

 大系の頭注に「月光の中に散る花の姿で、さらに風情を添えているのを賞でたもの。」とある。確かにこの月と落花という二つのモチーフが登場するところにこの歌の面白いところがあると思う。

 特に気になったのは、そのバランス感覚だ。多くの歌の場合、主題はひとつで、その主題を引き立てるために修辞や小道具を使い歌の世界を整えられていく。ところがこの歌は、月も花もどちらの格も落とさずに描いているのだ。少し欲張った構成ではあるが、動かぬ月と流れゆく花弁の取り合わせは対比が効いていて、双方を強調しているところがいい。

 もう少し掘り下げるなら、目移りできる贅沢を描いているところだろうか。私事だが、追っている週刊誌と月刊誌の発売日が同じ日になったりすると、やっぱりその日のうちに読みたい。もちろんたくさんの物語に情緒を振り回されていつもより疲れる側面もあるのだが、それに勝る満足感があるのも確かだ。エンタメの溢れる2020年代にあって、この「贅沢な悩み」というのは益々市民権を得ていくだろうと思うと、經信は中々先進的な感情に着目していたと言えたりしないだろうか。

*1:参考:「平安鎌倉私家集」日本古典文学大系