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いつのまに霞立覧春日野の
雪だにとけぬ冬と見しまに
(後撰/15/春上/よみ人しらず)

 訳すなら「いつのまに霞立覧(たつらん)春日野の」いつの間に霞が立ったのだろうか、春日野の「雪だにとけぬ冬と見しまに」雪さえ解けない冬だと思って見ていた間に(春が来ていたらしい)、という感じでしょうか*1。これだけ読むと立春の風物詩「霞」がいつの間にか立ったことを歌う春の歌なのですが、実は詞書が結構長めについていまして。それを読むと詠者の男が、宮仕えを始めてしばらくたった女性へ一月一日に送った歌のようなのです*2
 この歌のモチーフの女性は仕事を始めてから、いろんな男から言い寄られていたようで、詠者の男もその一人だった。ところが、詠者が声をかけた時にはつれなかったのですね。新しい仕事が始まって忙しいとか断られたのかもしれません、詠者はそれならと、冬の雪が解ける春を待つように、長い目で相手がこちらを見てくれるようになるのを待っていたようなのです。ところが女性は結局他の男性とくっついた。それを知って詠者の男が正月に送った歌ということらしいのです。
 あっけなく訪れる立春を驚く歌はたくさんありますが、その感情の裏地に気になっていた女性を他の男に取られた呆然を縫い込んで仕立て直すのは鮮やかな再解釈だと思いました。
 ふと、この歌を受け取ったとき、その女性はどう思ったのだろうという方に思考が流れました。この歌は恨み言の歌なのでしょうか。
 隠喩など使わず直接に、わたしはあなたのことを想っていたのに、あなたは別の人と懇ろになったのですね、というような歌だったなら文句のようなニュアンスを感じたでしょう。けれど、歌の表面で詠まれているのはあくまでも春の訪れです。気づいたら春になっていたというときは、まず驚いて、それから喜ぶものではないでしょうか。そう思うと「ああ、気づかなかったけど春が来たんだね……おめでとう、お幸せに。」というような肯定的なメッセージと受け取ってもいい気がします*3*4
 というわけで、遅ればせながら、あけましておめでとうございます。

*1:参考:「後撰和歌集新日本古典文学大系

*2:新体系記載の詞書を引用しておきます
女の宮仕へにまかり出でて侍りけるに、めづらしきほどは、これかれ物言ひなどし侍りけるを、ほどもなく一人にあひ侍にければ、正月のついたち許に、言ひつかはしける

*3:……学術的な正しさはさておき、今のわたしはそういう気分だったというところでお願いしたいです

*4:近況報告:昨年前半のわたしは際限ない自己否定感に包まれていて、なんというかやさぐれてたんですよ。でも、余していた時間で歌を文章を読んだり書いたり、それを話したりするうちになんとなく落ち着いてきまして。今楽しいことをこの後も楽しいと思えるように、やらないといけないことも見えてきて、食い扶持も少し見つかりまして、前向きになりつつありました。ただ、負の感情のホメオスタシスと言いますか、楽になるのは許さんぞ、みたいなこと言う自分が山道の脇からヌッと出てきまして。そいつから目を離さずに隙を探しつつ体はジリジリと後退したり、みたいなことをしてるうちに12月が終わっていました(その節はすみません)。というわけなので、わたしはこの歌の、気づいたら春になっていた衝撃と、なんか取り残されてる感じがする不安みたいなところに感情移入していましたし、その他人事みたいな春をそれでも祝福する歌なんじゃないかと解釈したいだけの理由がある人間です。負の感情で真っ黒な自分から、今のお前をどう扱っていいかわからない、と相談された時に、こういうよみ人しらず(やつ)もいる、と紹介したいのだろうと思います。「学術的な正しさはさておき〜」というのは、なので、そんなニュアンスです。そしてたぶん、これまでもこれからもここはそんな感じですが、それでもよかったら、今年もどうぞお付き合いください