わたいりカウンター

わたいしの時もある

わたしはまだアメフラシを愛用しているよ

脱ぎかへむ事ぞ悲しき春の色を
君がたちける心と思へば
(和泉式部集続集/34)

 出家した人(君)の事を衣替えの時に思い出した歌。「 脱ぎかへむ事ぞ悲しき春の色を」衣替えをしようとするのが、悲しいよ。春の色の(衣を)「君がたちける心と思へば」あなたが着ないと心(に決めている)と思うと*1
 スプラトゥーンというゲームをよくやっていた。今はたまに。昔は時間もあって熱心にやっていたものだから、友達を誘って一緒に遊んでいた。もうずいぶん長い付き合いのある学生の頃からの友人を誘ったのだ。わたしは一人で粛々と雨を降らす戦法で戦っていたのだけれど、そのうち、友達がTwitterを始めた。スプラ垢というやつで、ネット上で共通のゲームを好んでやるコミュニティに属して、マルチ対戦を楽しんでいた。そのうち、わたしもそこに呼んでもらうことがあった。気づけばわたしもアカウントを作ってやり取りをしたりするようになった。友人の方だって、味方が四人いるゲームでわざわざ、わたしとだけやる時間を設けるよりも、みんなでまとめて遊んだほうが、効率的だし、何より楽しいと思っていたと思う。実際、しばらく愉快にやっていたのだが、そのうち、友人の方が何かしらで揉めて、アカウントに顔を見せなくなってしまった。聞くと、スプラ自体をもうあまりやらないことにしたのだという。気づけばわたしは、ひとりで知らないコミュニティに紛れ込んでしまった人のようになった……訳では、正確にはなく、今も細々とスプラはプレイしたり呟いたりしている。それで、遊んでいる時は、あんまりそのやめちゃった友達のことは思い出さないのだけれど、それでも、思い出す瞬間がある。ゲーム内容の更新、アップデートの時である。味方にバフを飛ばす戦法で前作は楽しんでいた友人だったが、今作ではちょっとゲームの求める強さの性質自体が変わり、スプラの楽しみ方自体にもこれまで愛用していた戦法が使えない、閉塞感や疎外感を感じる時もあったかもしれない。わたしの愛用している雨を降らす戦法はそんなに強くはないが趣味で続けられる程度のマイナー戦法ではあった。そんな中、今日発表のアップデート予告でその雨におもしろい上方修正をいただいた。味方にバフをつける効果が新たに追加されたのである。アップデートの反映は明日からだ。一気にスタンダードな戦法として周知される……ということはないと思うが、それでもうれしいというか、自分のこれまで培った技術が役立ちそうで、なんだかゲームシステムに祝福されたような気さえちょっとして、うれしくて、明日が楽しみで、そしてその後、思い出したのだ。
 和泉式部は、自分が春の衣をしまう時、次にその衣を着るときのことを想像したのだと思う。もう一度春を迎える自分の姿と共に。けれど、そこで思い出したのではないか。出家して、もう二度と春の衣を着ないと決めた君のことを。

*1:参考:「和泉式部集全釈 続集編」笠間注釈叢書