もののふの磐瀬の社(いはせのもり)のほととぎす
今も鳴かぬか山の常陰(とかげ)に
(万葉集/巻八/1470/刀理宣令)
たまたま機会があって、さっきまでマトリックスを観ていた。グラサンスーツ、大きくのけぞって銃弾をよける、以外のイメージが全くない状態で、初めて見る映画だったのだが、面白すぎて終始にこにこしながら観ていたと思う。自分が今まで受け取ってきたコンテンツのシーンが端々でフラッシュバックして、途中で「いや、全部じゃん」とつぶやいてしまった。全部ではない*1。本当によかった。
いや、もう「今日はマトリックスを観ました。初めてでした。おもしろかったです。」で更新を終わりにししたい気持ちもあったのだけど、マトリックスを観た後でしかぴんとこない歌もあるかも知れないと思って読んでいるうちに見つけたのが冒頭歌だ。
磐瀬の社のほととぎすよ、今すぐ鳴いてくれないか、山の奥深くずっとくらいところにいるほととぎすよ、という歌。
磐瀬の社は、現在の奈良県生駒郡三郷町か。
マトリックスのすごいところのひとつは、観念的な部分とアクションの愉快さが同居しているところだと思うのだけど、観念的な部分を注視していたからか、観た人を扇動するような強いメッセージ性を感じた。
「山の常陰」というところにマトリックスの世界観の暗部を透かし見るのは流石にやり過ぎだとしても、対象に何かを強く求めるところはこの歌とマトリックスの近しいところだと言えるのではないか。
ずっと暗いところにいるほととぎすに鳴いて欲しい、と呼びかけるのは、言葉の表面だけを見るとかなりまぬけだ。だって光の差さないところにいる、鳴きもしないほととぎすを一体誰が認知できるだろう。その存在すら疑わしいほととぎすに鳴いて欲しいと願うのは、願望と言うよりはむしろ祈りとか信仰に近いような気がする。
「存在を証明しろ」というのは、すごく抽象的で力強いメッセージだ。
*1:でもかなり全部だと思う。