わたいりカウンター

わたいしの時もある

道路に敷いてあるブルーシート

明日よりは若菜摘まむと標めし野に
 昨日も今日も雪は降りつつ
(万葉/巻八/山部赤人/1427)

 乗り物代をケチって大通り沿いを歩いていると、車道の片側一車線が封鎖されていました。
 見るとこれから工事が始まるという雰囲気で、メトロノームのように赤く光る棒を振る機械の後ろで、大きな車輪のついた重機が鎮座ましましていました。大仰な表現だと自分でも思いますが、いつもは車の走るアスファルトの上に四畳半はあろうかというサイズ*1のブルーシートが綺麗に貼られていて、その上に置かれていたんです。そのせいか、重機がなんだか神々しく見えたのでした。
 歌は「明日よりは若菜摘まむと標(し)めし野に」明日から若菜を摘みに行こうと思って目印をつけておいた野原に「昨日も今日も雪は降りつつ」昨日も今日も雪が降り続いている、という感じでしょうか*2
 明日ここにピクニックをしに来ます、ということを断っておく目印をつけたはいいけど、雪が降ってていけないというのを歌っています。なんとも切ない。外出できない手持ち無沙汰の中で読まれたのかもなと、邪推してしまいました。ブルーシートのことを考えているうちに「標めし野」という語彙のことを思い出して、この歌までやってきました。
 ともすると、道路工事に居合わせるってって道路の違う一面が知れるというか、友達の家に遊びに行った時のふとした瞬間にでる「その家での会話*3」を聞くときみたいなうれしさがありませんか?
 この歌も、単にいいピクニックしてきたんだ〜という自慢じゃなく、いけなかったという失敗談のような雰囲気で、赤人と気安い世間話をしているような錯覚に陥れるうれしさがある気がします。
 赤人が標をつけた野原にはもうお目にかかることはできないでしょうが、工事が始まる前、そして今日見た重機が置かれる前の、ここに重機を置きますという目印にただブルーシートが貼られただけの状態の道路を、次は見てみたいです。居合わせるタイミングがシビアでなかなか出会えなそうですが、道路を封鎖してピクニックでもするみたい気配はあべこべで想像しただけで楽しくないですか?

*1:寸法は実際のものと異なる場合があります

*2:参考:「現代語訳対照 万葉集(中)」旺文社文庫

*3:例えば、そうですね、母親のことを「かあちゃん」って呼ぶんだな〜とかそういうやつです