わたいりカウンター

わたいしの時もある

春のイメージ

とふひともなきやどなれどくるはるは
 やへむぐらにもさはらざりけり
つらゆき(新勅撰/春/7)

 人の来ない家にも、やってきてくれる春は幾重にも重なった葎をーー、なんでしょう。最後の「さはらざりけり」がすぐに意味を取れませんでした。
 最初は、話題に触れるの「さわる」が浮かびました。久々に友達に会って不肖で髭が伸びていた時なんかに「あれ、お前髭伸びてんねぇ」みたいに言われたら、気づかなかったな失礼だったなと少しくじけますね*1。そういう微妙に指摘するのが気後れする身だしなみについてのことを、春も言及しなかったのだと思ったのです。実際、春の訪れという擬人的な用法にかこつけて、寂しい我が家に春が来てくれた、と言っているので、春が何かを言ってくるというのはなさそうですし。
 けれど、辞書で調べてきると、そもそもそんな意味ではとらないようです。代わりに載っていたのは「妨げになる」つまり、幾重に重なった葎にも気にせず来てくれた、と訳すのが良さそうでした。
 勝手に、身だしなみとかあんまり気にしないでくれる気心の知れた友人みたいな春だと考えていましたが、あんまりクリスマスの飾りとかしてないのに来てくれるサンタさんくらいな感じの春でした。

*1:冷静になってみると、くじけるか?くじけるか。そうか……

恋のはやさはパワー

shonenjumpplus.com
 おもしろかった~。猪*1と猿が友達の、野趣あふれる少女が恋をした!? 走り出したら止まらない爆速ほっこりラブストーリー!という感じでした。見開きとか魚眼構図とか、ちょくちょく絵がめっちゃ楽しいんすよ*2。でもやっぱりおすすめの理由をひとつあげるなら、恋に気づいた女の子が一生懸命自分の恋に邁進していくわんぱくな推進力があまりに魅力的なところ、その「爆速」っぷりだと思います。
 
よしのがはいはなみたかく行く水の
 はやくぞ人を思ひそめてし
紀つらゆき(古今/恋一/471) 

 そういえば今日読んでいた恋の歌の中に「はやく」がキーワードの歌がありました。
 訳すなら「よしのがはいはなみたかく行く水の」吉野川の岩の上を越す波が高くなるくらいに流れる水が「はやくぞ人を思ひそめてし」速いではないが、ずっとはやく(前)からある人のことを想っていたのだ、という感じでしょうか*3
 上三句が「はやい」を導く序詞なのですが、かなりいい味出していて好きです。「ずっと前から想っていた」ということを言葉にして詠むということは、恋が表出した瞬間と捉えることもできるはず。川の中の岩に高い波がかかるということは、水量が豊かで流れが早いということ。上の句で詠まれたその水の量と勢いは、ずっと秘めていた思いを表現するこの歌の土台になっている気がします。

*1:正確には猪と豚を足したみたいな「ブタシシ」という謎の生物。謎の生物が出てくる同じ作者の漫画もジャンププラスから去年の暮れに発表されていました→おわりの森から - つばさんた | 少年ジャンプ+ ドラゴンの表情の野生と感情のかき分けがすごく好きです

*2:作者のデビュー作と思しき「ココロボット - つばさんた / 【特別読み切り】 | マガポケ」この頃からもう既に見開きがめっちゃいい……

*3:参考:「古今和歌集日本古典文学大系

二回確認するという自分語り

風をだに恋ふるはともし風をだに
 来むとし待たば何か嘆かむ
(万葉/巻八/秋の相聞/鏡王女/1607)

 男子校の将棋部員だった頃、大会では相手が共学校ってだけで並々ならぬ闘志を燃やしていました。
 歌を訳すなら「風をだに恋ふるはともし風をだに」風さえもね、恋しく待っていられるなんてうらやましいよ、風だとしてもね「来むとし待たば何か嘆かむ」来ると思って待ってるんでしょう?ならどうして嘆く事があるの(こちとら全く期待する事がなくて絶望してるんですが……)、という感じでしょうか*1
 相手の悩みを聞いていたら、でもそれって悩んでること自体が贅沢じゃない?ってなるの、わかりすぎる……高校の頃、共学の友達がたまに話題にあげる恋愛がらみでめんどくさくなる人間関係の話に「そもそも恋愛がほぼほぼないからわからん」と返すことしかできなかったし、そう言って突き放してていたり、暗にねたんでいた部分もあったなと思います。
 二回繰り返される「風をだに」がよく効いてますね。効いているというか、封印したはずの男子校出身コンプレックスによく効きますね……いろんなことを思い出してうめき声が出ました。
 例えば将棋部の団体戦の時、どうしても共学の女子がいるチームに負けたくなかったとか、それでも負けてしまって、持っていた桂馬のストラップの裏側に後でその日の日付を彫刻刀で掘ったりしていたんですよね……怖い、怖いよ……*2
 別学と共学、それぞれ長所短所があるというのが今ならわかるのですが、まあ当時は自分のことで手一杯でした。そんな若い頃の視野の狭さが、繰り返される限定の「だに」をみて、もろもろ思い出されたのでした。

*1:参考:「萬葉集 2」日本古典文学全集

*2:言い訳のように、当時追っていた漫画のタイトルを挙げようと思いましたが、この案件は10割自分のメンタルから出た錆なので、やっぱり挙げないでおきます。……それにしても、こう、桂馬、桂馬かぁ……

日の目をみないと思ってた

出づる日の同じ光に四方の海の
 浪にもけふや春は立つらむ
(拾遺愚草上/初学百首/春二十首/1首目)

 

 今日は、本当におそるおそる、誘われていた歌会を見学していました。そしたら、びっくりするくらい話をわかってくれる人がいてとても楽しかった。例えば、詞書という言葉が前置きなく伝わる楽さを、もう何年も忘れていました*1
 それにしても、こだわって何年も意味を考えてた歌がだんだん下ネタに見えてきたときの話とか、笑ってくれる人がいるんだなぁ。
 歌を訳すなら「出づる日の同じ光に四方(よも)の海の」(初)日の出の、同じ(春の)光に周りの海の「浪にもけふや春は立つらむ」波にだって、今日は春が来たみたいだ、という感じでしょうか*2
 初春の初日の出によって、春は野山だけじゃなく海上にも訪れるはずです。けれど、そういう歌を見つけるのは難しい。海上の春を短歌の中で表現できる名詞も動詞もなかなかなかったのでしょうし、雪や梅を使って初春を表現するのが定着していた、というのもあるでしょう。
 そんな読まれることのあまりなかった波の上の春を詠んだ定家の一首は「あんまりないってのは知ってるけど、どうにか表現してやるぜ」という気概が感じられる気がして、わたしはとても好きです。
 「海上の春の歌」のアイデンティティって何?という問題に「四方の海」という言葉を使ってアプローチして、初春のあたらしい光が最も満ちているのは海上だと言わんばかり。描かれた波の光り輝く様子は、めずらしく海上の春を歌ってもらえた波の、多幸感さえ満ちているように思えました。
 存在しない現代ミームとしての和歌、という謎の弾丸ばかりを舌の裏のリボルバーに仕込みつつも、私はそれが使われる日が来ることなどないだろうと思って過ごしてきました。
 でも、そんなことはなかったみたいです。

*1:振り返ると、ここでの文章群においても結構楽をさせてもらっています

*2:拙訳

求めれば

海の底沖漕ぐ船を辺に寄せぬ
 風も吹かぬか波立たずして
 (万葉/巻七/雑歌/1223)

  訳すなら「海(わた)の底沖漕ぐ船を辺(へ)に寄せぬ」沖に出て行った船が、岸に寄せてくれるような「風も吹かぬか波立たずして」風が吹かないだろうか、波は立たないで、という感じでしょうか*1
 「わたの底」というのは「沖」を導く枕詞です。
 それにしても、なんというか、あっけらかんとすごい要求するなこの人、という感じがします。
 船に乗っているものか、人か、執着しているものに対して、戻ってきてほしいという願い。その方法も、風が吹いて、でも波は立たないで、とかなり具体的な指定があるところに強い情念のようなものが見え隠れしている気がします。でも、表面上は「当たり前だけど何か?」という顔をしている。
 ……こうしたこの歌に感じる怖さは、多分私の自己肯定感の低さに由来する気がします。これがこうなってこうなったらいいな、と要は願望を二重に重ねているところが怖い。そんなに私は求められない。
 深い海底を覗き込むような心地がしました。

*1:参考:「現代語訳対照万葉集(中)」旺文社文庫

泣いて惚気を聞く

  おもひかけたる人、寝たるを見て
うき事に夢のみさむるよの中に
 うらやましくも寝られたるかな
 (実方集/152)

 楽しみにしているものの発売日の前日なんかは、わくわくして眠れないということがありますね。けれど、それで眠れない夜を過ごすくらいなら、その夜に配信してくれた方が楽しく過ごせてうれしいというのはあると思います。今夜日付が変わったら、ついにSplatoon3発売です。
 そんな特別な日なので、もったいなくて少しずつ読むと決めている「実方集注釈」を読むことにしました。それで心惹かれたのが冒頭歌。
 訳すなら「うき事に夢のみさむるよの中に」つらいことに、夢だって覚めるくらいの間柄(だと思っていた)のに「うらやましくも寝られたるかな」うらやましいことに(あなたは)寝ていられるんですね、という感じでしょうか*1
 詞書に「おもひかけたる人、寝たるを見て」とあり、夜、会いに行ったら相手が寝ていた時に詠んだものだということがわかります。
 「よの中」というのは「世の中」男女の間柄というのと「夜の中」夜の間、寝てられるのですね、という二つの意味がかかっています。
 気になるのは「うらやましくも」です。現代語にもあるこの言葉ですが、古語ではそのままのプラスの意味と同時に「ねたましい」というようなマイナスの意味での切望も示します。この歌ではどちらのニュアンスで使われているのでしょう。その鍵は初句の「うき事に」にあるようです。

 この「うき事」つらいこと、というのは何を指しているのでしょう。私は一読した際、相手がのんきに寝ているのが「うき事」だと思いました。なんだ、夜も眠れないくらい思っていたのは私だけなのか、という実方の失望や悲しみが「うらやましくも」に込められているのだと。つまり「うらやましい」というのを皮肉で使っている、マイナス寄りの表現だと思ったのです。
 でも「ねえねえ実方くん、いいでしょ、私、今日の夜からSplatoon3ができるんだ〜」と煽り気味に話しかけてみても、実方はそれがどうしたの?というような素振りで、そんなに悲しみに浸っている感じじゃないんですよね。なんでい、悲しそうにしてたら一緒に遊ぼうぜって言おうと思ってたのに。
 というのも、竹鼻注釈では「うき事」の説明に『つらいこと。実方と女との間に思うようにいかないことがあったのだろう。』とあります。つまり、相手が寝ていることがつらいのではなくて、夢が覚めるくらいにつらい事が以前にあった、と解釈しているのですね。
 だとすると「うらやましくも」をどう解釈するか、もう一度考えなくてはいけません。竹鼻注釈ではこの歌の補説の中で『夢さえも覚めてしまうほど、実方は懊悩している。それとは対照的に女は安穏として眠っている。それをいとおしむように見つめている。』と書いています。
 それを読んで、うんうん悩んでいるうちに、これは実方が恋愛相手に何を求めているか考えなければいけない気がしてきました。
 相手と自分が同じように考えること、それはそれで尊いことでしょう。それを確かめ合えるのはうれしいと思います。歌で描かれてるのはそういうシーンではないはずです。でも『いとおしむように見つめている。』というのにも、妙な説得力があるんですよね。こんな歌を歌っておきながら、実方は相手に「同じ」を求めていないのかもしれません。
 だとしたら「うらやましくも」というのは、皮肉とかでなく本当にうらやましいのでしょう。自分にない部分に惹かれているという事なのかましれません。実方がこの歌で歌っていることをめちゃめちゃ意訳するなら「最近つらいことがあったから眠れないかなって思ってさ、彼女んち行ったのよ。そしたらさ、眠ってたのよ。もうすやすやでさ。俺は俺で悩んでて眠れなかったから行ったんだけど、不思議と悲しいとかなくてさ。というか、あんまりしあわせそうに眠ってるから、なんか、つられて俺も元気出ちゃったんだよね〜」という感じなんじゃないかと思えてきました。
 いや、「うき事」とかいうから話聞いてたら、とんだのろけじゃねえか!いいもんね!もう実方くんなんか寂しそうにしててもSplatoon誘ってあげないから!……でも本当につらい時は話聞くし、私も話に行くから聞いてほしい。そんときは、また、よろしく。

*1:参考:「実方集注釈」竹鼻

心の色は

かつ濯ぐ澤の小芹の根を白み
 清げにものを思わずもがな
 (山家集/下雑/1344)
 
 あらゐけいいちの漫画でピンクをいちごみるく色と形容する回がありました。
 歌を意訳すなら「かつ濯ぐ澤の小芹の根を白み」澤でそのまますすいだ小ぶりな芹の根が白いみたいに「清げにものを思わずもがな」さっぱりと物思いしないでいられたらな、という感じでしょうか*1
 上下の実景・抽象の対比も鮮やかですが、「濯ぐ」という動詞に、おもしろい存在感があります。根の白さは、掘り起こして周りについた土を落としてようやく気づけるもの。自分の心が白いかどうかは、まずその周りにある有象無象の煩悩や雑感のような思考を洗い落として、ようやく気づけるみたいなニュアンスを想像してしまいました。
 何かを達成して喜んでいる時の私の文章というのは、ショッキングピンクのような派手な迫力があって、冷静になって読み返すと顔色が土みたいになりますね。少しでも実感が書けている部分があるのが救いではある。
 雑念を排してもなお、自分の心がけばけばしい色をしていても泣かないで受け止めたいです。