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わたいしの時もある

駆け込み和歌

 長いあいだ続きの巻が出るのを楽しみにしていた漫画『君と僕。』の最終巻が出ていた。それを読んだ、ので、本当におわってしまった。
 しばらく力が抜けてしまって、それから行き場のない感情がわんさか。頭の中で情報がいつまでも完結しない語彙力のないオタクになった時は新古今和歌集が便利です*1
 ちっちゃくて明るい男子がとても良かったなという感想は確かだったので「ひさかたの」が入った歌を探して読んでいました。「ひさかたの」は光を導く枕詞なので。2首持ってきました。

ひさかたの中なる河の鵜飼船
 いかに契りて闇を待つらん
藤原定家朝臣(新古今/夏/254)

 鵜飼船は夜、篝火を餌に魚をとる船です。なので昼間は鵜飼船にとってはプライベートな時間。明るい川面に浮かぶ鵜飼船を、脳内の夜の船と比べてチカチカと明滅する感じが「ひさかたの中なる」と「鵜飼船」によって演出されています。光の中の鵜飼船を素敵に思う気持ちに加えて、闇の中の船も想像してしまうこのあべこべさが、混乱している自分にとてもよくなじみました。
 「いかに契りて闇を待つらん」を最初読んだ時は「どういう労働条件で夜勤入る感じ?」みたいな意味かと思ったのですが違いそうです。「契り」は前世からの因縁と訳すそう(参考:日本古典文学大系)なので「なんの因果で夜の闇を待つ仕事をしてるんだろうこの鵜飼船は……」という感じに訳すのがいいのかなと思いました。

とを地には夕立涼しひさかたの
 天の香具山雲がくれゆく
源俊頼朝臣(新古今/夏/266)

 遠いところで夕立が降りはじめるのを詠んだ歌。
 「ひさかたの天香山」で晴れていた景色を印象付けて、それが「雲がくれゆく」雲に隠れて見えなくなっていってしまう、と詠んでいるのが淡々としていてうらやましい。
 詠者にとっては涼しがれる距離感を保っている夕立だけど、私は今、明るかった香具山が雲で見えなくなっていくのを見たら泣いてしまうと思う。
 私にとって和歌が便利というのは、良い話し相手になってくれるところだと思った。自分の感情が少し見えてきた。
 『君と僕。』の単行本を待つ日常はありがたかったし心強かった。作品が無事最後まで描ききられたことをうれしいと思うし、それとは別に、やっぱり寂しいです。
 ちょっとずつ忘れたり、ふと思い出したりするから、これからもよろしくな!

*1:個人の感想です。それっぽい理屈をつけようと試みるなら、一首一首の感情と景色の総量が多くて、技工を凝らした読みぶりの新古今歌は、コンテンツと感情を上手に伝えたくてもがくオタクとしてシンパシーを覚えるからでしょうか。もっとも、たまに感情と技巧があまりに噛み合っている歌に出会って、その的確すぎる表現力に打ちのめされるまでがセットですが……