わたいりカウンター

わたいしの時もある

死んだ変数で繰り返す

はるやくるはなやさくともしらざりき
たにのそこなるむもれ木の身は
(新勅撰/雑二/和泉式部/1200)
 
 そういえばこの間、回転寿司に行ったんですよ。ひとりで。おそるおそるカウンター席に座ると、となりのおっちゃんが長電話しててほんのり嫌な気持ちになったけれど、久々に食べたお寿司はおいしかったです。
 歌を訳すなら「はるやくるはなやさくともしらざりき」春が来ているのか花が咲いているのかもわからなかった「たにのそこなるむもれ木の身は」谷の底にある埋もれ木みたいな私は、という感じでしょうか*1
 埋もれ木は地中で黒くなった木材のこと*2。暗い谷底の埋もれ木と、地上に訪れていた春やら咲いた桜やらの暗明のコントラストがつよい歌です。
 世間から遠くに在って、その華やぎを知らないでいる、知ったことかよとシャットアウトしている、ずいぶんやさぐれた感じの歌な気がします。ある種の疎外感を歌い上げている和泉式部は、やり場のない自分の孤独を外に出して少しでも和らげたかったのでしょうか。
 和泉式部の意図とは違うかもしれないですが、私はこの和歌を知れて良かったと思いました。社会の動静をシャットダウンするしかない精神状況の時には、誰とも関わろうとは思わないけれど「私だけなのか」という恐怖はどうにかして埋めたい。この歌を読んだ時、近くに同じような人がいる気配があって、心強かったり、少しだけ自分の感情と折り合いをつけていくのが楽になっている気がするからです。
 別に回転寿司のひとり席で隣の人が電話してたからって文句つけようとは思わないですよ。隣の方が皿下でしたし。ただ、まあそうですね、例えばですよ、隣の人がカウンター席に掛けたショルダーバッグについたアクリルキーホルダーが偶然自分も好きな作品のキャラクター*3だったりしたときの、しゃべりかけはしないけれど感じる奇妙な連帯感を、和泉式部のこの歌にも確かに感じたのでした。

*1:拙訳。上の句に二度見える係助詞「や」の訳に悩みましたが、ここでは問いかけでとっています。

*2:埋もれ木 - Google 検索

*3:ワールドトリガーだったら生駒隊の誰かとか