わたいりカウンター

わたいしの時もある

遥かな冬の海にて

 

わたのはらやそしましろくふるゆきの

あまぎるなみにまがふつりふね

(新勅撰/冬/426/正三位家隆)

 

 よく鶏むねを冷凍するのだが、最近、若干のつらさを感じている。調理のときは、電子レンジに半解凍をお願いしてから切るのだが、それでも抑える手が冷たくて仕方がないのだ。夏にあってありがたかった、あの心地いいつめたさの面影は、もう微塵も求めようがない。冬が来たのだ。

 歌は冬に覆われゆく生活を歌っている。「わたのはら八十島しろくふる雪の」広い海、一面の島々を白く染めて降る雪の「あま霧る波にまがふつりふね」あたりを白く霞ませる波に紛れてしまう釣り船よ*1。わたの原、八十島、天霧る、とスケールの大きな言葉たちが歌を映し出すスクリーンを押し広げていて、その広い画角一面に白く覆いかぶさる降雪の範囲もさらに広大であることを伝えている。そうして、冬 という季節をなるたけ大きく切り出しておいて、白い雪や波しぶきに紛れてしまう、1隻のつりふねを描く。なんとも寂しくて、心もとない。

 でもそんな一面に白の飛び交うつめたい景色に浸っているうちに、厳しい季節の中で生きる人間のたくましさのようなものがうっすら感じられてきて、ちょっと勇気をもらった。冷たい海に生きる糧を求めるのは、秋の蓄えが足りなくなったからかもしれないし、冬に新鮮な食材を求めてのことかもしれない。消極的か積極的か、動機はわからないけれど、あのつりふねは、冬を生きるために海へ出ているから。

*1:拙訳