墨染の衣の袖は雲なれや
涙の雨の絶えず降る覧
(拾遺/哀傷/1297/題知らず/よみ人知らず)
自分なりに少し崩して訳すなら、「墨染(すみぞめ)の衣の袖は雲なれや」喪服の袖って雲なんすかね、「涙の雨の絶えず降る覧(らん)」(だから)涙の雨がずっと降ってんだろうなって*1。
「墨染の衣」とは鈍(にび)色の喪服を指し、ちょうど雨雲のような色だった*2。言われてしまえばなるほどという連想で、感情より先に理屈の理解が勝ってしまって、一読した時はあまりいい歌に思えなかった。
けれど、詠者にとってはまず号泣があったはずで、詠者は自分でそれを客観的に気づいて、ちょっとびっくりして、それから周りにどう見られているか想像して、その後、言ってしまえば社会性を発揮して「いや、この喪服の色も鈍(にび)色ですし、雨雲かよっていうね、はは……」と涙で濡れた顔で無理やり笑って見せたのじゃないかと、何度も読むうちに思い直した。詠者は周りにアピールする必要を感じたのではないか。自分はこの号泣を客観的に認識していて、縁語で歌も詠めちゃうくらいで、だから心配しないでください、と。
平凡な見立ての歌だからこそ、却って歌の裏にある整理しようにもできない故人への感情を雄弁に伝えるのかもしれない。人と話すのとは別に、一人で改めて向き合う感情というものもまたあるだろう。そのいくつかの層を思った。
喪服が雨雲の色をしていると、泣きたい時に泣いてもいい理由になれるところが、やさしい。