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わたいしの時もある

親子の会話いろいろ

 青空文庫を急に読みたくなってビュワーアプリを落として、短い文章を探した。新村出キセルの語源に関する文章*1研究史を概観していてよかったが、会話の形式として目を見張ったのは伊藤左千夫の「浅草詣」だった。晴れたら浅草に連れて行くと子供に約束していた日の朝のことを書いた短い文章だったのだが、親子の会話のライブ感がこれでもかと伝わってくる。

 おとっさん歩いてゆくの、車で、長崎橋まであるいてそれから車にのるの、浅草には何があるの、観音様の御堂は赤いの、水族館、肴が沢山いる、花やしきちゅうは、象はこわくないの、熊もこわくないの、早くゆきたいなア、おとっさん、おっかさんはまだ髪をゆってくれないよ、いま髪いさんがきておっかさんの髪をゆっているよ、おとっちゃんおとっちゃんおかさんまだアタイに髪ゆってくれないよ、アタイ浅草へいっておもちゃ買って、お汁粉たべる、アタイおっかさんと車にのっていくよ、雪がふれば観音様へとまるよ、イヤおっかさんとねるの、おとっちゃんとねない、アタイおっかさんとねる。

(伊藤左千夫「浅草詣」より)

  にぎやかである。子供の多い家庭の出かける前の準備の時のかしましさはきっとこんな風なのだろうなと、こっちまでお出かけへの期待を膨らませわくわくしながら読んでしまった。カギ括弧でくくらない会話の魅力、誰に聴かせると言うよりもうたのしみでしかたなく言葉があふれてしまう子供の声が部屋に満ちている感じが、こんな風に文章で表されていてちょっと感動してしまった。

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  • 「僕とお父さんについて」薄場圭

 親子の話といえば今日読んだ読み切りで、連れ子と血のつながらない父親の関係性を描いた漫画があった。薄場圭「僕とお父さんについて」だ。

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 コマとコマの間の比較的細いスペースに、主人公である男子中学生のモノローグが入る形式が、何でも言い合えるわけではない、義理のお父さんとのちょっと気まずい関係の描写としても生きていて、短い読み切りの情感の密度をぐっと上げていた。

 好きなコマがたくさんある。途中の普通のモノローグでは(…やってもた …連れ子 失格や…)と考えていて、この男子中学生の主人公が気まずいなりになんとか関係を続けていこうとしているのがわかる。運転席のほうを見ないように助手席の窓から外に視線を落とす絵も合わさって、けなげさやもどかしさがにじんでいて心をつかまれてしまった。

 物語の転がし方も、「この場所でこのエピソードを語る」ことの蓋然性が一貫してあり続けていて、一緒にコンビニに行ったり車に乗っているような気にさせられる。しっかりとした漫画力の上で、この親子が今後一生忘れないであろう場面を垣間見せてもらえる、物語を読む時の欲求をこれでもかと満たしてくれる、そんな読み切りだった。

 

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