わたいりカウンター

わたいしの時もある

感情と紐付いてしまう

明日の夕(よひ)照らむ月夜は片寄りに

 今夜(こよひ)に寄りて夜(よ)長からなむ
  (万葉集/巻七/1072)

 ゲームは一日1時間だった子どもの頃に、よせば良いのにぼろ泣きして地団駄を踏んでちょっとだけ延長してもらったり、次の日の分を前借りしたりしていた。この歌も、そういう現状への執着、途切れてしまうことへの深い悲しみと惜しさが現れている歌のような気がする。

 明日の夜を照らすはずの月もひたすらに、今夜を照らして夜が長くなってくれたら良いのに、という歌。
 最初は「まだ終わるのはいや!」という強い執着に共感していたのだけど、そのうちどうして月夜を前借りしようと思ったかが気になってきた。単に夜が長くあってほしいということなら、太陽が昇ってこなければ良い、という方向に論理が転がってもおかしくない。
 マグロのタタキ丼のことを私が忘れられないのは、過去に一緒に体験したことが強烈だったというのもある。だが加えて、それを食べたファミレスチェーンの看板を結構な頻度で見かけるから、というのもあるかもしれない。今日もその看板を見かけて、マグロのタタキ丼のことを思い出していた。
 そのときにふと、この歌を詠んだ人はいつも終わってしまう夜を惜しんでは、やり場のない思いを込めて月を見詰めていたのかも知れないと気づいた。

参考:日本古典文学全集 万葉集