題しらず
みどりなるひとつ草とぞ春は見し
秋は色々の花にぞありける
よみ人しらず(古今/秋上/245)
訳すなら、「みどりなるひとつ草とぞ春は見し」みどり色でみんな同じ草だと春は思っていたけど、「秋は色々の花にぞありける」秋はいろんな色の花みたいだなあ、という感じでしょうか。
確かに、春の草の緑のグラデーションはわかりにくいけれど、秋になって枯れるにつれていろんな色があることがわかり、色が違うもんだから葉の形までくっきりわかって急に目を引くというのはありそうです。それを花に見立てるのは、最大級の賛辞に聞こえるし、遅れてきた春という感じもしていろんな属性を連れて来れるいい形容だなあと思ってしまいます。
しかし、現代に置き換えようと考えてみるとなかなか難しい。ぱっと思いついたのは、景気の良い時は社会保障も安定してるけど、不景気になると途端に社会問題が噴出するな〜という朗らかな為政者の姿だったのですが……かなり違う気がします。
例えば、若い頃は気の合う友人が見つからなかったけど、歳を重ねてから同級生が各々いろんな趣味に詳しいことがわかって最近遊ぶの楽しいんだよね、っていうおじさんに近しいでしょうか。
脱線しているとわかりつつ、そういう年の重ね方いいなと思ってしまいました。