題不知
山河のいは行く水もこほりして
ひとりくだくる嶺の松風
讀人不知(新古今/雑上/1575)
知ってるの人の仲睦まじさを祈ってしまうのは、どのくらい普遍的な感情なんでしょうか。
例えば、いつも公園でキャッチボールしてるのを見かける二人組が、今日は一人で壁打ちをしていたら。
冒頭の歌もそんな心配を煽ってきます。
訳すなら「山河のいは行く水もこほりして」山川の岩の間を(音を立てて)流れていた水も凍ってしまって「ひとりくだくる嶺の松風」ただ激しく嶺の松風が吹くだけになってしまった、という感じでしょうか(参考:「新古今和歌集」))。
山で強い風が吹けば、川の水面も荒立ちその流れは激しく。そのことが、聞いている人には当たり前になっていたのでしょう。
でも冬になったら。
共鳴するように大きな音を立てていた川と風のうち、川の方が静かになってしまった。凍ってしまったから。それで、風の方はただ松を揺らすことでしか音を出せない。
冬の寂しさを、日常とは違う音の中に見つけられる人の歌をもっと知りたいと思いました。