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わたいしの時もある

あたらしさ

あたらしき年や我が身をとめくらん

 暇行く駒に道を任せて

大納言隆季(新古今/冬/694)


 21代集データベース*1で「あたら」で検索していた。今日は楽しみにしていたマンガの新刊が出る日で、「あたらしい」という概念に昔の人はどう向き合っていたのか気になったのだ。
 新古今までだと20例以下で、作例はあまりなかった。もっといい検索語があるのかもしれないが、冒頭歌がきれいで目に止まったのでよし。
 訳すなら「あたらしき年や我が身をとめくらん」新年が私の元に訪ねて来るだろうか「暇行く駒に道を任せて」気まぐれに歩を進める馬に道を任せよう、という感じだろうか。
 上の句の新年という幸いを待つ夢想に、下の句の「暇行く駒」の為すに任せよの脱力感が対照的でいい。馬にはゆっくり道草を食んでほしいと願ってしまった。
 「あたらしい」という概念についてはわからなかったけれど「あたらしき年」は人が意識してどうこうできるものではなかったらしい。
 ちょっと安心した。*2

*1:http://base1.nijl.ac.jp/infolib/meta_pub/G000150121dai

*2:でも更新をするのは時間じゃなくて自分だったと、公開を押してから気付いた。