わたいりカウンター

わたいしの時もある

満ちてしまう感情

蘆辺より満ち来る潮のいやましに
 思へか君が忘れかねつる
 (万葉/巻四/617)

 今日の夜はスーパーで売っていた串カツを食べました。さらさらしたウスターソースをできるだけ細く、それでいて途切れないように串カツにかけた時のことです*1。かけられたウスターソースが串カツの衣の上で光沢を放ったかと思うと、それが衣に染み込んでいきます。ソースは凸凹した衣の上で段々と水位(正確にはソース位?)が下がっていく中で、いろんな方向に面を形成してキラキラ光っていて、目を奪われました。
 歌は、あなたのことを忘れられない、という歌。「蘆辺(あしべ)より満ち来る潮」がいいんですよね。
 詠んだのは山口女王。万葉集に入集した6首の歌は、いずれも大伴家持へ贈ったものです。
 さて、水位の上昇にあふれる思いを託す歌は、例えば百人一首13番「筑波嶺の〜恋ぞつもりて淵となりぬる」が思い出されます。
 それと違うのはやっぱり「蘆辺」の部分でしょう。単なる満ち潮はゆっくりと水面を上げていくもの。そんな静かな恋もあるかもしれません。けれどそれが蘆辺だとちょっと違うのかな、と思うのです。
 蘆の隙間を埋めるように潮が満ちていくなら、何もないところで水面が上がっていくよりも水面の上昇を意識しやすいのではないでしょうか。また蘆の間をだんだんと満たす水位は、その過程で必ずしも水平ではなく、無数の茎と茎の間で面ができてキラキラ光って見えるのではないでしょうか。
 それを綺麗だと思う反面、目を逸らせない存在感を認めることになるとも思うんです。細かく輝きを放ちながら、どうしようもなく心を満たすあの感情。相手を忘れられないという思慕を伝えるのに、これ以上の表現はあるでしょうか*2
 
 

*1:かけ過ぎるのが怖いんです。だくだくとかければ楽に味がつきますが、食べ終わった後、皿に残ってしまったソースやドレッシングを見るのは何とも哀しい。

*2:けれど山口女王の思慕が届いた形跡を、万葉集の中に見つけることはできません。万葉集に最後に登場する歌は巻八1617「秋萩に置きたる露の風吹きて 落つる涙は留めかねつも」です。