十月許に、初瀬に参りて侍りけるに、あか月に霧の立ちたるをよみ侍りける
行く道の紅葉の色も見るべきを
霧とともにやいそぎたつべき
前大納言公任(後拾遺/羈旅/501)
見たかった紅葉が霧で見えないのに、もう出発しないと駄目? と旅先での霧に渋い顔をしているような歌*1。
悲哀よし、技巧よしで後拾遺らしい楽しみどころの詰まった歌で、いつもならよろこんで好きなところを羅列したと思う。
けれど第一印象はなんとなくとっつきにくかった。
ちょっと理由を考えてみると、それは不要不急みたいな言葉が世間に跋扈して久しくて、我慢するのに慣れてしまっているからかもしれない。紅葉が見れなかったくらいいいじゃん別に、というような気持ちが膨らむ気配があった。心がささくれ過ぎている。
さいわい、初瀬が奈良県のあたりにあることを知ったり、霧が「立つ」と出発するの「発つ」が掛けられてて面白いなとか考えていくうちに、ただこの歌だけに意識を注ぐことができた。
現代で例えるなら、地方出張で観光地を調べておくも結局行けずじまい、後ろ髪を引かれながら帰りの新幹線に乗り込むみたいな感情に近いだろうか。移動前のちょっとした時間の観光が、悪天候でどうにもならなくなるやるせなさよ……。
また、新幹線なら一度乗ってしまえば否応なしに離れられるが、この歌では自分の足で遠ざからないといけないところに追加の哀しさがある。
考えれば考えるほど好きなタイプの歌でした。