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わたいしの時もある

雁生の半分

  歸鴈をよめる
はるがすみたつをみすててゆくかりは
 花なき里にすみやならへる
伊勢(古今/春上/30)

 「人生の半分損してるよ」というフレーズがありますね。誰かにコンテンツを勧めるときに用いられるこのフレーズを、私は複雑に思っています。意地悪に言葉尻を捕まえて、そんなに人の人生に詳しいなら人生相談とか占い師をはじめた方がいいのでは?と思う反面、逆説的に勧める側がそのコンテンツと出会った衝撃の大きさと熱狂を物語る点では素敵な表現だとも思います*1。この「人生半分損してるよ」というフレーズを使う時、話者の心にはどんな感情が混在してるのでしょう。
 歌を訳すなら「はるがすみたつをみすててゆくかりは」春霞を見ないで去っていく雁は「花なき里にすみやならへる」花の咲いていない里に住み慣れてるのだろうか、という感じでしょうか*2
 本当に疑問に思っているのかもしれませんが、結構意地悪な表現にも見えます。下の句なんか顕著じゃないです? 「あれ、春霞が立ってるんですけど、お帰りになる? へえ!全然花とかない暮らしに慣れてる感じなんすね!」みたいなニュアンスを感じるのは私だけでしょうか。
 けれど、詠者のことを嫌いになるか、と言われると全然そんなこともないのです。詠者は春霞が立って(春になって)花が咲くのを楽しみに待っていたのでしょう。だから、春を楽しんでいる時すぐ横で去っていく雁に、びっくりするし、自分が楽しみにしていたものが他者にとって大事ではないことを知って悲しかったり、自分が少数派のようで怖かったり、蔑ろにされたようで腹が立ったりするのだと思うからです。 
 何かに熱狂している自分と、そっけない他者という構図の類似から「花なき里にすみやならへる」を「人生の半分損してるよ」と超訳することも、できないことはないかもしれません。
 

*1:見境のない布教フレーズなのか、狂えるオタクである自己開示なのかで印象がだいぶ変わりますね

*2:参考:「古今和歌集日本古典文学大系