わたいりカウンター

わたいしの時もある

春のイメージ

とふひともなきやどなれどくるはるは
 やへむぐらにもさはらざりけり
つらゆき(新勅撰/春/7)

 人の来ない家にも、やってきてくれる春は幾重にも重なった葎をーー、なんでしょう。最後の「さはらざりけり」がすぐに意味を取れませんでした。
 最初は、話題に触れるの「さわる」が浮かびました。久々に友達に会って不肖で髭が伸びていた時なんかに「あれ、お前髭伸びてんねぇ」みたいに言われたら、気づかなかったな失礼だったなと少しくじけますね*1。そういう微妙に指摘するのが気後れする身だしなみについてのことを、春も言及しなかったのだと思ったのです。実際、春の訪れという擬人的な用法にかこつけて、寂しい我が家に春が来てくれた、と言っているので、春が何かを言ってくるというのはなさそうですし。
 けれど、辞書で調べてきると、そもそもそんな意味ではとらないようです。代わりに載っていたのは「妨げになる」つまり、幾重に重なった葎にも気にせず来てくれた、と訳すのが良さそうでした。
 勝手に、身だしなみとかあんまり気にしないでくれる気心の知れた友人みたいな春だと考えていましたが、あんまりクリスマスの飾りとかしてないのに来てくれるサンタさんくらいな感じの春でした。

*1:冷静になってみると、くじけるか?くじけるか。そうか……