わたいりカウンター

わたいしの時もある

聞こえる音に思うこと

静けくも岸には波は寄せけるか
これの屋通し聞きつつ居れば
(万葉/巻七/雑/羈旅にして作る歌九十首/1237)

 夏休みなんかは、よく図書館に行って新聞を読んだり本を読んだりしていました。夏の朝、図書館はほどほどに冷房が効いていて静かです。向かいのテーブルのおじさんが新聞をめくる音が聞こえるくらい。
 この歌、珍しいのは景色ではなく気配に気づいたことが主題になっています。訳すなら「静けくも岸には波は寄せけるか」静かでも岸に波が寄せているなあ「これの屋通し聞きつつ居れば」この家越しにじっと聞いていると*1、という感じでしょうか。「つつ」の訳し方に戸惑ったのですが反復、動作の並行のほかに、動作の継続の意味でもとれるので旺文社文庫の「じっと」という訳をとりました。
 初句「静けくも」が、決して大きくはない波の音に耳をすましてしまうシチュエーションをよく伝えていて、はるか昔の海辺の家へと読み手の意識を飛ばしてくれます。歌の描く状況はとても好みです。しかし、どういう気持ちで詠んだのかは、一読しただけではわかりませんでした。
 考えていくうちに、この歌が羈旅、どこかへ向かう(あるいは帰る)道中で詠まれた歌だということが手がかりになる気がしました。昔の旅は徒歩ですから、危険がつきもの。今日はどのくらい進めるか、天気はどうか、体調は? といろんなことに気を張っているのが普通だったのではないでしょうか。そんな中、ふと耳を澄ますと波の音が聞こえる。静かだから気づけた小さな波の音をおもしろがると同時に、穏やかな波にここしばらくは気候が安定しそうという、旅の安全の気配に安心していたのではないでしょうか。
 夏の朝の図書館でおじさんが新聞をめくる音をよく覚えているのも、それに安心したからかもしれません。歳を重ねても、変わらず本を読んでいる自分が少しだけ想像しやすくなったから。

*1:参考:「現代語訳対照 万葉集(中)」旺文社文庫