わたいりカウンター

わたいしの時もある

そのときは混沌

世と共に明石の浦の松原は
浪をのみこそよると知るらめ
(拾遺/雑上/源為憲/464)

 今日はマジで何言ってるか分からない神っぽいな - ニコニコ動画を聴いて楽しい気持ちになっていた。語感が良くて非日常的なフレーズが細かく連続するここちよさ。「あばらの溝に沿って迷路書いただけじゃん」があのフレーズに響いているかもな、とか作者の意図してなさそうな繋がりを二次創作的に縫い合わせながら、くりかえし聴くうちに自分だけの秩序を気持ちで見出していくと、少しつめたいくらいのプールで泳いでるみたいな快楽があった。個々のフレーズに意味はないと気を抜いていると「障子に耳あり〜」みたいなフレーズがひょこっと顔を出すから気が抜けない。
 冒頭の歌は「世を経て、明石の浜って明るいから、「夜」が来なくてさ、もう浪しか「寄る」を知らないらしいよ」という感じ*1で、想像上のダジャレみたいな雰囲気があって軽く読めてしまう。
 でも、たとえば初句「世」末句「よる」の対応とか、2,3,4句のaの頭韻とか、常緑樹というかいつも緑色の葉を茂らす木としての松は、時間の幅を思わせる前振りとして、えんえんと夜が来なくてただ波が寄せる明石の浜というイメージへうまくつながるようになっている気がする。
 現代でこそ、極地周辺における白夜など、実際に夜の来ない現象が知れ渡っているが、当時の日本人はそんなことは知るよしもないはずだ。そう思うと、実はこの夜の来ない明石の浜はかなり新しいイメージだったのかもしれない。今日聞いていたカオスな曲も、時代を超えて聴かれたら、混沌が物足りなく感じられてしまったりするのだろうか。だとしたら、ちょっと切ない。