常はさね思はぬものよこの月の
過ぎ隠らまく惜しき夕(よひ)かも
(万葉/巻七/雑歌/月を詠む/1069)
どうもすみません、ご無沙汰しています。最近は最低限の食い扶持を確保したり、料理のレパートリーを増やしたりしていました*1。今年度につきましてはなんとかやっていけそうです。とりあえず良かった。
で、落ち着いてきたと思って万葉集を開いたらこの歌にあたって、鳩尾のあたりを小突かれたような気がしました。「常はさね思はぬものよこの月の」いつもはちっとも思わないんだけどなあ、この月が「過ぎ隠らまく惜しき夕(よひ)かも」目の前を通り過ぎて隠れてしまうのが惜しい今夜だなあ*2という感じ。単に今日の月だけを惜しんでいる、という読みもあるでしょうし、言外にずっと続けばいいと思うようなことがこの夜あったということかもしれません。
ですが。わたしは考えてしまいました。別にこの日だけ月が綺麗だったり良い出来ごとがあるわけではないじゃないかと。毎晩月を惜しんで、その夜毎に時間を大切にしたらいいじゃないかと。
そこまで考えてから、ふと立ち止まりました*3。わたし、そんなこと言えた立場か?*4 この考えが、三日月みたいに端の鋭いブーメランとなって自分に返ってきました。
最後に更新した日からいく月か経ってしまって、毎日できるコンディションになるまでやらんでいいか〜みたいな怠惰に浸っていた自分こそ「常はさね思はぬ」普段からなんも考えず、のうのうとその日の月を見送りつづけていた人間だったわけです。特に欠けた月は先が尖っていて危ないですから、こっちに向かって飛んできたり、あまつさえ胸に刺さってしまわないように注視しておく必要があります。時間もまた、意識を割いておかないと、あたり前という顔をして人をゆっくり鈍らせてくる。どうか時間を確保して、見たもの聞いたもの読んだものについて、なんでもいいので明日の自分も書いてくれることを期待します。