古(いにしへ)にありけむ人も我がごとか
三輪の檜原(ひはら)にかざし折りけむ
(万葉/巻七/葉を詠む/1118/人麻呂)
この歌の「古にありけむ人も」昔の人も「我がごとか」私とおんなじようだっただろうか、と昔の人の後ろ姿を共感をもって想像している様子を見て「わたしもわたしも!」ってその背中に声をかけたくなってしまった。
どんな行為を重ねているかというと「三輪の檜原にかざし折りけむ」三輪の檜の並ぶ野原で(葉を)かんざしに折っていただろうか*1、つまり同じように葉っぱを頭にかざしてたかな、と想像している。この!「かざす」というのがおもしろくてですね!
というのも、単に綺麗な植物を手折って頭に飾るという装飾の意味だけでなく、その植物の生命力にあやかるみたいな、ある種呪術的なニュアンスもある行為なんです「かざす」って*2。下の句の自分と葉っぱに連続性を見出してあやかる行為と、上の句のその行為をしている人間は今もいれば昔に立っていたのではないかという想像は、まるで合わせ鏡のように入れ子構造になって無限に続いていきそうじゃあないですか? ……少なくとも毎日和歌読んで感情を想像しているわたしは、その無限の一部じゃん!という気づきがあって、浮き足立っちゃいました。
昔の人へのまなざしと「かざす」の意味の重なりが、現代を生きるわたしたちさえも言祝いでいる気がする歌を今日は紹介したかったのでした。*3