天の川雲の水脈(みを)にて早ければ
光とどめず月ぞ流るる
(古今/雑上/882/題知らず/よみ人知らず)
別に矢が飛ぶ様を見たことはないけれど「光陰矢の如し」と聞いてもなんとなく腑に落ちる。どうしてかと考えると、代わりに思い浮かべているのは、たぶん夜に白いフロントライトや赤いテールライトが道路で筋をつくって流れているところだと思う。赤信号やら歩道橋やらでぼうっと立ち尽くしている時なんかに、素早く目の前を横切っていく光を見ると、流れている時間が違うことくらい何も言われずともわかったのかも。
でも天の川がなんで川って呼ばれているのか、あまり考えずにここまで来てしまった。気づいて考えることができていたら、この歌と自分の解釈を照らし合わせることができただろう。この歌は天の川について雲で解釈している。「天の川雲の水脈(みを)にて早ければ」天の川は雲が水の流れになっていて、その流れが早いので「光とどめず月ぞ流るる」月の光が留まることなく流れていく*1。月そのものは水脈が早いと思えるほどすばやく動きはしないだろうが、その光を浴びて動く雲の速さから川の流れを読み取ったその発想、詠者にそのロジックを築かせた雲が光を運ぶ景色のうつくしさとその内包する時間の幅に目を奪われてしまった。*2