わたいりカウンター

わたいしの時もある

期待って何?

岩倉の小野ゆ秋津に立ち渡る
雲にしもあれや時をし待たむ
(万葉/巻七/1368/雲に寄せる)

 期待というものと上手に付き合っていくことができていない気がしてる。もうずっと。あまりにもお子様な気がしてしまって、しかし考えてもうまくいかないというか、なかなかいい落とし所を見つけられないでいる。

 歌は「岩倉の小野ゆ秋津に立ち渡る」岩倉の小野をからはじまり秋津にまで立ち広がる「雲にしもあれや時をし待たむ」雲であるというからか、機会を待っているのですか?*1。歌を読んで、そういえば期待というのは期を待つと書いて期待だったと当たり前のようなことを確認してしまった。恋歌、ということらしい。煮え切らない相手を雲と例えるのいいっすね……雨が降るのか降らないのか、近づいてくるのか向こうに行くのか、「立ち渡る雲」小野から広がってくる雲を見て判断しかねている旅の中の一幕を、ふくらむ期待と現実のギャップにヤキモキしてしまう心を重ねている。それに加えて、「雲にしも」とか「時を」とか強調表現が心の揺らめきの大きさを伝えていて、ちょっとこっちまでしんどくなってくる。いいなと思う恋歌は毎回詠者に感情移入してしまって、恋がうまくいってほしいとか、ほどよい落とし所が見つかっていたらいいなと考えてしまう。

 今のわたしの心持ちだと、全部に絶望するか全部に期待し続けるか見たいな塩梅で、というか塩梅でもなんでもない、塩か砂糖かというくらいでもう本当にオンオフくらいしかグラデーションがない。それはグラデーションじゃない。この辺りが幼い。適度に期待するというスマートさを身につけたいが、もうそれはもはや期待じゃないのではないか? という気もするけれど、感情の寒暖差というか、一喜一憂力*2で死なないために上手に期待と向き合いたい。雲の広がらぬ空はないけれど、空はその辺りどう考えているんだろうか、というか、天気と付き合うように自分の感情を自分の外側のままならないものみたいに冷静に眺められたらいいんだろうか。……今結論が出るならこんなに長いこと悩んでないわけですんで、はー、ゆっくり戦わせてもらいますね。

 

*1:参考:「万葉集(中)」旺文社文庫

*2:「ほしとんで」という大好きな漫画で知って以来ちょこちょこ使ってしまっている語彙です。たぶん作中の造語。そのうち辞書に載ってほしい