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わたいしの時もある

雨の日の

笠無みと人には言ひて雨つつみ
留まりし君が姿し思ほゆ
(万葉/巻十一/奇物陳思/2684)

 訳すなら「笠無みと人には言ひて雨つつみ」笠がないので、と人には言って雨に降り込められて「留まりし君が姿し思ほゆ」留まっていた君の姿が自然と思い出されるなあ*1、という感じ。「留まりし君」のことが気になっている歌で、直接的には「思ほゆる」からそれがわかる。細かいかもしれないけれど「人には」の「は」からも、詠者の気になってしまう感じが出ているようにも読める。「人に」ではなく「人には」とした詠者は、笠がないからと留まっている相手に対して、相手の中では何か他の理由、例えば相手が自分のことを気にしているかもしれないとか、漠然とした妄想*2をしていることを「は」は伝えている気がする。

 もしあの時なにかきっかけがあったら仲良くなれていたんだろうか、そういう後ろ向きな期待のある歌だと思う。そのいまさら仕様のない情に、雨宿りのシーンはぴったりだ。違う日に雨が降った時、詠者はこの前の雨の日と比べて何かが足りないと思ったのかもしれない。

*1:参考:「現代語訳対照 万葉集(中)」旺文社文庫

*2:あるいは本当になんらかの気配を察しての「は」かもしれない