わたいりカウンター

わたいしの時もある

一度聞いたら

奥山の木の葉隠れて行く水の
音聞きしより常忘らえず
(万葉/巻十一/寄物陳思/2711/作者未詳)

 先日、寝床に蚊が出た。暑いのに泣く泣く布団をかぶって寝たが、結局足を刺されて目が覚める。小一時間捜索するも断念し再び睡眠に努めたが、結局寝不足のまま朝を迎えることになった。

 こんな夜が何日も続いてはたまらない。その日のうちにホームセンターに寄ってワンプッシュでどうにかできるやつを買った。帰ってきて部屋にひと吹き。……本当に効いているのだろうか。その晩はどきどきしながら横になった。幸い効果があり、蚊は飛ばなかった。けれど時々遠くに鳴るバイクのエンジンのブオーンという駆動音が、なんだか蚊の羽音に似ている気がして耳についた。いつもなら気にならないのに。

 冒頭歌を訳すなら「奥山の木の葉隠れて行く水の」奥山の木の葉に隠れて流れる水の「音聞きしより常忘らえず」音ではないが(あなたの)声を聞いたときからずうっと忘れられない、*1という感じか。三句目までが序詞で「音」を導いている。「音」は評判と訳すことが多い(旺文社文庫のもそう訳している)けれど、評判を聞いただけでその人のことが忘れられない、というのを奥山の見えない水の流れる音に託して歌うだろうか? と疑問に感じて、ここでは声と訳してみている。

 「奥山の木の葉隠れて行く水の音」なので、そんなに大きな声ではないのだと思う。けれど、その相手の声を一度意識してしまったら、なんだかいつも忘れられないというのは、懸想の歌だと思う。詠者も、いろんな音や声の中に、意中の相手の声の面影を探してしまっていたのではないか。蚊の羽音と一緒にされてはたまらないよ! と詠者に言われてしまうと思うけど、でも寝られないのは一緒でしょ? って言い返したい。……キーボードを叩くのをやめたら、静かになった。

*1:参考:「現代語訳対照 万葉集(中)」旺文社文庫