わたいりカウンター

わたいしの時もある

自分でクーラーつけておいて寒いと思う

夏衣まだひとへなるうたた寝
心して吹け秋の初風
(拾遺/秋/137/秋の初めに詠み侍ける/安法法師

 夏の(うすい)単衣を着ているだけのうたた寝には、気を遣って吹いてくれ秋の初風よ、という歌*1。秋の巻の一番最初に置かれている。「心して吹け」と命令形であるにもかかわらず、詠者から秋風へのなんとなく気心の知れたというか、甘えた気配がある。気をつけて吹いてほしい(薄着だからあんまり涼しく吹かないでほしい)と願う理由が、通勤中だからとか共感できるものではなくて、ただ薄着でうたた寝しているからというのは、なんというか、ふてぶてしささえ感じられませんか。

 それとは別に「心して吹」くなら「秋の初風」だろうな、という納得もある。だって春夏秋冬の風の中では、一番気を遣ってくれそうじゃないですか。春風はあたたかいけれど否応なく開花を促すし、夏風は暑いしそもそも歌に詠まれないがちだし、冬の風は気遣いからは最も遠くにいる気がするし。気遣い、という他者への一定の距離感のあるベタベタしすぎないどこか乾いた態度は、秋風という景物とかなりあっているように思える。

 人が自然に対して何かを要求する歌は万葉集の頃からあって(雨降るなとか、山どいてくれとか)、その身勝手さ、無茶さゆえのおもしろさがこの歌にもある。加えてその馴れ馴れしさと気遣いができそうな秋風のギャップ、甘えた人間と気遣いのできる自然というコントラストが、この歌の独自性ともう一つの楽しみどころをつくっている。ただおどけた歌のようでいて、拾遺和歌集、秋の巻頭歌を飾るにふさわしい魅力的な歌だと思う。*2

*1:参考:「拾遺和歌集新日本古典文学大系

*2:ほぼ自分のためだけのメモになってしまうけれど、『クドリャフカの順番』における生徒会会長・陸山宗芳みたいな歌にも思えてきてて。こういうおどけたようで人の心を掴む歌をリーダーよろしく秋部の巻頭に配して、その次の歌は

秋は来ぬ龍田の山も見てし哉(がな)
しぐれぬさきに色やかはると
(拾遺/秋/138/題知らず/よみ人知らず)

と、秋になったから早く紅葉の名所の龍田山が見たい! というかなり真っ当なというか、真面目な秋の歌が並べられているのを副会長的と見てしまうの、我ながらかなり胡乱だと思う。けれど、編者は部立ての巻頭ごとにつかみというか、導入をかなり考えていたのだとも思うし、この秋の部は、その配列の工夫がわたしはとても好きでした。