わたいりカウンター

わたいしの時もある

わからないとはわかってて

秋津野に朝居し雲の失せゆけば
昨日も今日もなき人思ほゆ
(万葉/巻七/挽歌/1406)

 朝に漂っていた雲が消えていくのを見るたびに、故人を思ってしまうという歌。
 雲が消えることがきっかけで思い出すなら、せめて雲を見ている間はぼんやりと悲しみを忘れられただろうか。一読してそんなことを思ったのだが、全集にも旺文社文庫にも「朝居し雲」で火葬の煙を思い出しているとの指摘があり、詠者は雲を見ている時からずっと故人のことが脳裏に浮かんでいるようだった。
 感情はどれもそうだけど、特に悲しみはその人だけのものだと思う。具体的な感情ではなくただ「思ほゆ」とだけ伝えたこの歌へ、わたしは何か声を掛けようとは思わない。けれど、静かに頷いて、雲のあった空を見ながら、他に喋りたいことがあったらいつでも聞くよ、という態度でとなりに在れたら。