わたいりカウンター

わたいしの時もある

息を止めるように

わたの底かづきて知らん君がため
思ふ心の深さくらべに
(後撰/恋三/745/題しらず/これのり)

 海の底に潜って確かめてみよう、あなたのためと思う(わたしの)心の深さと(海の深さを)比べるために*1、という歌。

 海へ行こうという誘い文句をアクロバティックにするとこうなるんだろうか。一読して、ちょっとやっかんでしまった。確かめてそれが海の方が深かったとて、そもそも恋歌を送り合う間柄で、一緒に海へ行くのは楽しかろう。

 というか、誰かのためを思っているその深さがわかるのは自分自身だけではないか。でも「知らん」の「ん(む)」には少なくとも意思のニュアンスが、そしておそらく相手にも一緒に確かめて欲しいという勧誘のニュアンスもあるように思う。一緒に海に潜って、一体何を判定しろというのか。

 この「わかってもらえなさ」こそが、この歌の根っこにあるのかもしれない。誰かのためを思ってというのが相手に十全に伝わる機会などない。でもこんなに思っているのだから伝えたい。そのもどかしさこそ、一緒に海の底まで息を止めて潜る時に伝わるのではないか。いつまで潜ればいいかわからないけれど、いつか底に着くまでは苦しくても息を止めているように、あなたのためをずっと思っていることが。

*1:参考:「後撰和歌集」新日本古典文学大系