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わたいしの時もある

秋の朝

さ雄鹿の朝立つ野辺の秋萩に
玉と見るまで置ける白露
(万葉/巻八/秋雑/1598/大伴家持)

 冒頭歌付近の左注に743年に自然を見て詠んだ歌とある*1。早朝のひと気のなさ、そこへ足を踏み入れるのがなんとなくためらわれる景色に目を奪われた。

 白露を玉(宝石)と例える歌をよく見るが、それがどうしてかは今まで考えていなかった。朝露はそのまるく輝く美しさと、人や動物が葉を揺らしてしまえ露がたちまち地面へ落ちてなくなってしまうその貴重さが、宝石を思いおこさせるのかもしれないと思った。

 白露が玉と見えるのどこかに光源がある=空が晴れているからだろうなとか、さ雄鹿が立っているということは人の気配が少ない景なのかなとか、素朴な歌のようでいて意外と言外の写実が多く、読む人に感想を委ねる懐の深さがある。

*1:「右、天平十五年癸未(きび)の秋八月、物色(自然界の色、景色のこと。)を見て作る。」参考:「萬葉集(2)」日本古典文学全集