わたいりカウンター

わたいしの時もある

花に問う

故人西辭黄鶴楼
煙花三月下揚州
孤帆遠影碧空盡
唯見長江天際流
(黄鶴楼送孟浩然之廣陵/李白)

 友人が西の黄鶴楼を出て
 花の煙る(ように咲きわたる)三月に揚州をくだり
 遠くひとつの帆の影が碧い空に吸い込まれる
 ただ見ていた。長江が地平線に流れていくのを*1

 通勤の時に李白の詩をぼんやりながめていたら、教科書で読んだことのあるのがでてきてつい読んでしまった。
 李白が黄鶴楼から友達を見送ったことを詠んだ漢詩。昔読んだ時は単に広い景色がきれいだな、くらいなもんで、でてきても天際って地平線の別名としていいなとかだった。今読むとまたちがった感想が出力されておもしろかった。
 「煙花」という表現がぴったりすぎる。
 
 春霞を白い花に見立てたりその逆だったりは和歌でもある。でも煙はあんまり無かった気がして新鮮な表現だった。春の花はかなさ、たよりなさ、それと友を見送るさびしさを表わすのは、なるほど、霞よりも煙の方がふさわしい。
 近くで見る煙は枝に咲き広がる花かもしれないが、それが遠い景色の煙になると、ただ白く帯状に空に上がっていくだけになるだろう。その見立ては「孤帆」ひとつの帆というモチーフにつながっていく。
 この詩の特徴はカメラワークでもある。友→友が乗り下っていく船とその周り→友の船がちいさくなって地平線に消える→視点はそのままでしばらくうごかず景色を見つめる。段々とカメラが引いて、止まる。そのラストシーンにも「煙花」が響いてくる。煙のようなはかなさ、細く立ち上って行く煙のさびしさで心を描きながら、最後の遠景には花びらをさえ散らしてはいないだろうか。
 ここまで読んで満足して、現実に戻ってきたつもりだったのだが、自分の頭を軽く払って、それから猛烈に恥ずかしくなった。頭に小さく白い花弁が乗っている気がしたのだ。
 *2

*1:参考:『李白詩選』岩波文庫

*2:以下雑記

・これリピートながら書いてた→「High Mists of Spring」 Obadiah Brown-Beach - YouTube

・おもったよりも「ほのぼのと~」の歌と着想が似ていると感じてびっくりした。昔は全然似てないと思ってた。

・「ほのぼのと~」歌について昔書いてた。 ほのぼのと - わたいりカウンター

・エモーショナルな遠景の詩を読むと音楽を紹介したくなるのかもしれない。意識してなかったけど、わたしは似た歌を紹介した回のどちらもでyoutubeのリンクを貼っている。