わたいりカウンター

わたいしの時もある

昔の歌に沈むのは

峰高く鳴き渡るなり呼子

谷の小川の音響(とよ)むまで

(為忠家初度百首/98/頼政)

 

 高い峰の上で鳴き続けている郭公(の声)は、谷の底の小川の流れる音に寄り添うまでに響いている*1

 音の位相がきもちいい。それに、わたしはあんまり大きな音は苦手なので。

 響む(とよむ)とは、鳴り響くとか大声で騒ぐとか訳すのだけれど、今回は前者が適していると思う。

 峰の高いところで鳴く郭公は、たしかに大声で騒いでいるかもしれない。けれどその音量は、嘴から離れるほど弱まるだろう。谷底に届く頃には、その小さな川のせせらぎの音と一緒にきこえるくらいに音量の角がとれて、ただ響きだけが淡く残るとしたら。その響きから詠者が郭公の声の大きさを思ったとしたら。

*1:拙訳