わたいりカウンター

わたいしの時もある

秋の朝

さ雄鹿の朝立つ野辺の秋萩に
玉と見るまで置ける白露
(万葉/巻八/秋雑/1598/大伴家持)

 冒頭歌付近の左注に743年に自然を見て詠んだ歌とある*1。早朝のひと気のなさ、そこへ足を踏み入れるのがなんとなくためらわれる景色に目を奪われた。

 白露を玉(宝石)と例える歌をよく見るが、それがどうしてかは今まで考えていなかった。朝露はそのまるく輝く美しさと、人や動物が葉を揺らしてしまえ露がたちまち地面へ落ちてなくなってしまうその貴重さが、宝石を思いおこさせるのかもしれないと思った。

 白露が玉と見えるのどこかに光源がある=空が晴れているからだろうなとか、さ雄鹿が立っているということは人の気配が少ない景なのかなとか、素朴な歌のようでいて意外と言外の写実が多く、読む人に感想を委ねる懐の深さがある。

*1:「右、天平十五年癸未(きび)の秋八月、物色(自然界の色、景色のこと。)を見て作る。」参考:「萬葉集(2)」日本古典文学全集

息を止めるように

わたの底かづきて知らん君がため
思ふ心の深さくらべに
(後撰/恋三/745/題しらず/これのり)

 海の底に潜って確かめてみよう、あなたのためと思う(わたしの)心の深さと(海の深さを)比べるために*1、という歌。

 海へ行こうという誘い文句をアクロバティックにするとこうなるんだろうか。一読して、ちょっとやっかんでしまった。確かめてそれが海の方が深かったとて、そもそも恋歌を送り合う間柄で、一緒に海へ行くのは楽しかろう。

 というか、誰かのためを思っているその深さがわかるのは自分自身だけではないか。でも「知らん」の「ん(む)」には少なくとも意思のニュアンスが、そしておそらく相手にも一緒に確かめて欲しいという勧誘のニュアンスもあるように思う。一緒に海に潜って、一体何を判定しろというのか。

 この「わかってもらえなさ」こそが、この歌の根っこにあるのかもしれない。誰かのためを思ってというのが相手に十全に伝わる機会などない。でもこんなに思っているのだから伝えたい。そのもどかしさこそ、一緒に海の底まで息を止めて潜る時に伝わるのではないか。いつまで潜ればいいかわからないけれど、いつか底に着くまでは苦しくても息を止めているように、あなたのためをずっと思っていることが。

*1:参考:「後撰和歌集」新日本古典文学大系

葉を落とした冬の木肌

神な月時雨許を身にそへて
知らぬ山地に入ぞかなしき
(後撰/冬/453/山に入るとて/増基法師)

 時雨(しぐれ)は晩秋から冬にかけて断続的に降る通り雨のこと。晩秋に降る時雨は、紅葉を一層紅くさせ、冬になって降る時雨はその紅葉を散らせてしまうものとして、時雨はしばしば歌に詠まれている。

 冒頭歌での時雨は、冷たい雨として描かれているように見える。訳すなら「神な月時雨許(ばかり)を身にそへて」神奈月(10月)の時雨だけを身につけて「知らぬ山地(やまぢ)に入(いる)ぞかなしき」知らない山路に入るのは本当に悲しい、というようになるか*1

 詠者は法師であることから、知らぬ山道へ入っていくのは、俗世を捨てている描写でもある。けれど、出家して俗世のしがらみや感情から離れられているかは「かなしき」からわかる。まだ感情が残っているのだ。出家したはずなのに悲しい、というギャップにこの歌の魅力がある。

 出家をして、冷たい雨に打たれながらも山路を歩く法師は、真面目に世を捨てて宗教に励んでいる法師だと思う。そんな増基法師が思わず「かなしき」と詠んでしまったのはどうしてだろう。……この時雨は、冷たくて、そして紅葉を散らす時雨だからなのでは?

 増基はつめたい時雨で葉をすっかり散らした木々を、山路を歩く間ずっと見ていたのではないか。人の心を動かすうつくしい紅葉を落とす時雨に降られているのだから、自分の雑念も落ちてくれはしないかと、濡れた木肌を眺めて思ったのではないか。そして自分の心をあらためて確かめると、かなしいと思っていることに気づいてしまった。もしそうなら、誰が増基法師を責められるだろうか。

*1:参考:「後撰和歌集」新日本古典文学大系

雲の層 心の層

墨染の衣の袖は雲なれや
涙の雨の絶えず降る覧
(拾遺/哀傷/1297/題知らず/よみ人知らず)

 自分なりに少し崩して訳すなら、「墨染(すみぞめ)の衣の袖は雲なれや」喪服の袖って雲なんすかね、「涙の雨の絶えず降る覧(らん)」(だから)涙の雨がずっと降ってんだろうなって*1

 「墨染の衣」とは鈍(にび)色の喪服を指し、ちょうど雨雲のような色だった*2。言われてしまえばなるほどという連想で、感情より先に理屈の理解が勝ってしまって、一読した時はあまりいい歌に思えなかった。

 けれど、詠者にとってはまず号泣があったはずで、詠者は自分でそれを客観的に気づいて、ちょっとびっくりして、それから周りにどう見られているか想像して、その後、言ってしまえば社会性を発揮して「いや、この喪服の色も鈍(にび)色ですし、雨雲かよっていうね、はは……」と涙で濡れた顔で無理やり笑って見せたのじゃないかと、何度も読むうちに思い直した。詠者は周りにアピールする必要を感じたのではないか。自分はこの号泣を客観的に認識していて、縁語で歌も詠めちゃうくらいで、だから心配しないでください、と。

 平凡な見立ての歌だからこそ、却って歌の裏にある整理しようにもできない故人への感情を雄弁に伝えるのかもしれない。人と話すのとは別に、一人で改めて向き合う感情というものもまたあるだろう。そのいくつかの層を思った。

 喪服が雨雲の色をしていると、泣きたい時に泣いてもいい理由になれるところが、やさしい。

*1:参考:「拾遺和歌集」新日本古典文学大系

*2:参考:同上

風が秋

秋風は日にけに吹きぬ高円の
野辺の秋萩散らまく惜しも
(万葉/巻十/秋雑歌/花を詠む/2121/(よみ人しらず))

 訳すなら「秋風は日(ひ)にけに吹きぬ高円(たかまと)の」秋風は日毎に強く吹いた 高円の「野辺の秋萩散らまく惜しも」野辺の秋萩が散ってしまうのが惜しい*1

 今日の夕方に公園を歩いていると、盛夏よりは幾分か涼しくなった風が吹いて気持ちよかった。わたしが風に吹かれる前に、風上の草木が揺れる音がしていて、そこから風を知覚するまでのちょっとの間に風に対して期待をしているかもしれないと思った。

 歌は秋風が日に日に強くなっているので、野辺の萩が散ってしまうのを心配している。自分が風に吹かれて、他に吹かれているものを想像しているのは、どうしてだろうか。目の前にない景色を思いやるとは、よほど秋萩が好きなのか。単にいろんなことに気を回せる人間なのか。答えのない問いだけれど、思うに風の吹く音と温度が秋萩を思い起こさせたのではないかと思う。強くなる秋風が秋風だとわかるのは、単に暦の上だけではなくて、それ相応の冷たさと乾きを伴っているからではないか。そうして、ああ、このくらいの風が吹くと秋萩も散ってしまうのだよな、というところまで思考が届くのではないか。

 9月初旬にあっては、秋風をうっとおしく思えるのはまだ先になりそうで、少しだけうらやましい。

*1:参考:「現代語訳対照 万葉集(中)」旺文社文庫

とけたあとは

春されば水草の上に置く霜の
消つつもわれは恋ひ渡るかも
(万葉/巻十/春相聞/霜に寄す/(よみ人しらず))

 訳すなら、春の訪れに水草の上の霜が消えていくではないが、消え入るように私は恋い焦がれているなあ*1

 春の景物を詠み込んだ恋の歌。上の句「春されば水草(みくさ)の上に置く霜の」までが「消」を導く序詞だ。けれど、ただ「消」と続けるためだけではなく、詠者の恋へ期待している気配も忍ばせている序詞に思える。

 歌の核となるのは下の句で「消(け)つつもわれは恋ひ渡るかも」と恋い慕い続ける切なさを詠んでいる。「われは」の「は」を限定の助詞と捉えると相手の方はそうでもないのかもと少し怖い。けれど、この恋がそのまま一方的に恋し続けるものになるとも思えない。それは上の句の景色が今まさに春めく世界を描いているからだ。春が来たら、地上の草木だけではなく水中の水草だって、葉は茂り青々としてくるのではないか。

 調べると「水草の花」は夏の季語らしい。春が過ぎて夏が来る頃には、どうにかなっている、あるいはどうにかするつもりの恋を、春が今まさに訪れている景色に重ねて前向きに詠んでいるとしたらすてきだし、とてもかっこいい宣言だ。

 詠者はこの歌を、どんな気持ちで振り返るのだろう。

*1:参考:「現代語訳対照 万葉集(中)」旺文社文庫